新都民合唱団 略年譜

1.創立
・ 1946(昭和21)東京都文化課が都民合唱教室を創設(日本橋城東小学校)。
・ 4千人の応募者があり、100人程度を選抜、これを合唱教室(初、中級)と合唱団(東京都民合唱団=旧都唱)とに分けた。

2.1946(昭21)~1952(昭27)
・ 合唱教室(初級)は三島安秀氏(城東小学校教諭)、中級は前田幸市郎氏(指揮者)が担当して指導に当たった。
・ 合唱教室の年限は一年、修了後はテストを受け「都唱」に入団することが出来た。
・ なお、合唱団には別途、オーディション制があり、教室を経なくても直接入団の道が開けていた。
・ 「都唱」は沖不可止氏が指揮し、オペレッタを中心に対外活動を展開した。

3.1953(昭28)~1959(昭34)
・ 東京都は所期の目的を達したとして、合唱教室の閉講を決定、これによって、都唱は自主運営を行うこととなった。

4.都民合唱団(新)の誕生-1960(昭35)
・ 東京文化会館の落成に先立つ1年前、本格的なアマチュア合唱団を会館内に作ることが都教育委員会で決定された。(1960.4)
・ 3千名余の応募があり、この中から300名が選ばれ、新たな都民合唱団が発足した。(1960.6)

5.1961(昭36)~1969(昭44)
・ 61年の発足当初から約5年間は須賀靖元氏が繊細な音楽作りを、続く4年間は遠藤雅古氏がエネルギッシュな指導をされた。

6.1970(昭45)~1974(昭49)
・ ほぼ10年を経過した1970年、合唱団の在り方について、税金を特定の者のみを対象として支出することの是非が問われ、合唱団は文化会館の運営から離れることになった。(1970)
・ この時、伊藤栄一氏が担当していたジュニアクラスが濱田徳昭氏を講師に合唱教室(別称「都民コールシューレ」)として残り、合唱団は独立した。
・ この合唱教室は初級1年、上級1年と在籍2年で卒業するという形で進められた。
(なお、現在の新都民合唱団定期演奏会の開催回数はこのコールシューレの発表会から起算している。)

7.1975(昭50)~1976(昭51)
・ 1975.4の募集では工藤智昭氏が女声合唱(月曜)、中嶋恒雄氏が混声合唱(金曜)を担当、それぞれ80名程度の2クラス制をとった。
・ 在籍2年という枠組みと途中退団者の補充を行わなかったため、演奏自体に支障が生じた。
・ そこで、オーディションによる補充、継続して在籍する方法を採用した。(1976)

8.1977(昭52)~1983(昭58)
・ これまでの「発表会」を「演奏会」と改めた。
・ 1978(昭58)から「第九特別演奏会」を毎年末、一般の参加者を加えて開催することになった。
・ 1981(昭56)以降2年間指導に当たった、松本紀久雄氏に代わって井形景紀氏が就任。

9.新都民合唱団の発足(1984:昭59)
・ 団の名称を新都民合唱団に改め、二つのクラスを統合して週2回の練習日としたほか、ヴォイス・トレーナー制を導入するなどして、合唱の質の向上を図ることとした。

10.1984(昭59)~1998(平成10)
・ この間、前記井形氏に続いて、渡辺三郎氏(1987~93)、大島義彰氏(1993~97)がそれぞれ指導に当たられた。
・ 1997(平9)からは、阿部純氏が指揮者となられた、
1984以降の14年間、文化会館の運営の下にあって、もっとも安定し、レパートリーも一層広がった時期といえる。

11.1999(平11)~現在
・ 東京都の行政改革の一環として文化会館の在り方も検討の対象となり、合唱団の自主運営路線を取ることとなった。(1999.4)
・ それ以降、幾多の苦難のなか、着実に優れた音楽の追究と提供を図ってきている。