『イワン雷帝』解説

1.プロコフィエフの『イワン雷帝』をご存じですか

我々新都民合唱団では、2020年7月26日の定期演奏会で、プロコフィエフ作曲・オラトリオ『イワン雷帝』を取り上げます。とはいえメンバーの多くは、1年前にはこの曲の存在を知りませんでした。このページをご覧の皆さんも、『イワン雷帝』なんて聞いたこともなかった方が大部分でしょう。

著名な作曲家なのに殆ど演奏されない曲には、たいてい何か深刻な理由があります。ベートーヴェンの戦争交響曲は、鉄砲や大砲を鳴らす趣向が、楽聖ベートーヴェンのイメージに合わないためか、今日では殆ど演奏されません。ベルリオーズ作曲のレクイエムは、音楽的には素晴らしい曲ですが、何せオーケストラと合唱の総勢が400人になろうかという超巨大規模の作品であり、めったに演奏されません。

では、『イワン雷帝』の場合、知名度が低いのは何故でしょうか。

このオラトリオは、映画『戦艦ポチョムキン』の巨匠エイゼンシュテイン監督による、統一ロシア初代皇帝イワン4世を描いた映画『イワン雷帝』を基にしています。プロコフィエフは音楽担当として、エイゼンシュテインと共同で映画製作に携わりました。映画は3部からなる予定でしたが、ロシアを統一したイワンを讃える第1部は高い評価を得たものの、第2部はスターリン批判の疑いを受け公開禁止となり、計画していた第3部も頓挫したまま、エイゼンシュテインもプロコフィエフも亡くなってしまいました。第2部が公開されたのはスターリンの死後しばらくして、1958年のことでした。

こうして映画『イワン雷帝』は未完の大作に終わりましたが、プロコフィエフの音楽が失われることを惜しんで、音楽録音時のオーケストラ指揮者スタセヴィッチが、第1部と第2部から20曲を選出し、一部編曲も加えオラトリオとしたものです。これが、我々が演奏するオラトリオ『イワン雷帝』です。

すなわち、未完のため音楽・映画の出来そのものを疑われかねないこと、作曲者以外の編曲であること、さらにイワン雷帝=暴君というネガティブイメージの一人歩き、はてはソヴィエト当局の圧政に諾々と従ったらしいプロコフィエフへの不信感など、オラトリオ『イワン雷帝』は、クラシック愛好家の目からすると、問題だらけといっても過言ではありません。そしてクラシック愛好家は、概して映画音楽を管弦楽やオペラ作品に比べて下に見る傾向があることも災いしているようです。

また、著作権問題があります。作曲者、編曲者が存命中に楽譜の出版がなかったため、今日でも限られたライセンスのもとで借用する楽譜で、練習・演奏する不便さを抱えています。これも普及を阻害している大きな要因です。しかもプロコフィエフの遺族間で相続争いがあり、改善の見込みが立っていません。

しかし、一度聴いて頂ければ分かりますが、オラトリオ『イワン雷帝』は傑作です! 映画だからと安易に流れる箇所は一つも無く、曲の隅々にまで緊張感がみなぎり、プロコフィエフの交響曲、協奏曲と比較しても遜色がありません。合唱も分かりにくい表現はなく、ロシア民謡を思わせる、サラサラ・キラキラとした響きが美しい女声合唱、たくましく力強い男声合唱が、プロコフィエフ特有のキッチリしたリズム感と曲構成に支えられ、オペラや宗教曲とは違った迫力・存在感で訴えかけてきます。

こう見てくると、今回『イワン雷帝』を演奏できることは、新都民合唱団にとって、またとない貴重な機会になるかもしれません。

2.『イワン雷帝』はどんな音楽か

イワン雷帝は抵抗勢力を容赦なく粛正し、大量の虐殺を敢行した希代の暴君として名を馳せているので、そんな主人公の映画の音楽は、さぞかし戦争や恐怖の場面に満ちているだろうと思うと、予想は裏切られます。イワン4世が暴君となり、雷帝と呼ばれるのは、映画では、第2部後半のイワンの叔母エフロシニアによる暗殺計画が破綻した後のことで、オラトリオの曲の多くは、ロシア統一を実現したイワンを讃える第1部から採り上げられています。そのため、イワン4世の婚礼や王妃の葬儀の音楽など、抒情的な旋律の曲も多く含まれています。

もちろん戦争の場面(合唱では、砲兵をいたわる歌詞の曲)や、事実上の抵抗勢力暗殺集団、オプリーチニキ親衛隊の曲なども含まれますが、オラトリオ全体としては、民衆の支持を得てロシアを統一した皇帝という観点でまとめられています。しかしそのため、各曲の選定、順序に多少無理が生じ、ストーリーが見えづらいという弱点があるため、話の筋を朗読補強するナレーターが用意されたと思われます。

話が飛びますが、イワン4世と、その4年後に生まれた織田信長には、多くの共通点があります。いずれも貴族諸侯や群雄割拠の厳しい環境下で成長し、領主となってからは、家柄に拘らず有能な若手を率いて改革を行い、地位を固めました。またロシア、日本という、当時の世界文明的には辺境の地にあって、西欧の優れた火器等の技術をいち早く取り入れ、戦略的優位を築きました。イワン4世のカザン攻略、織田信長の長篠の戦いの勝利は、いずれも相手の強力な騎馬軍団を、火器で圧倒した結果です。​

そうしてイワンも信長も政権基盤を確立し、さらには周辺諸国との戦役を経て、絶対王権を樹立していきました。その一方で、両雄とも反対勢力には容赦なく、過剰とも思える粛正、虐殺も辞さず、犠牲者は数万人を数えると言われています。

しかし、そうは言いながら日本では、一向一揆虐殺、比叡山焼き討ちにも拘わらず、藤吉郎との逸話など、リーダー織田信長への評価は、今なお高いものがあります。そう考えると、ロシアでのイワン雷帝への評価も、我々外国人が想像するのとは違い、より親しまれた国民的英雄として語り継がれて来た可能性が高いのではないでしょうか。恐らく民間伝承として残っている多くの逸話があり、映画もそれを踏まえて、エピソード各場面を構成していると想像します。

それを音楽として感じさせるのが、合唱曲の旋律です。オーケストラ単独で演奏される曲は、プロコフィエフの交響曲などと変わらない、不協和音を駆使した現代曲的要素の多い構成となっていますが、合唱ではロシア民謡を思わせる、平明で哀調の漂う旋律を多用しています。こうした曲を多く採用することで、スタセヴィッチは、「民衆の支持」を間接的に表現し、オラトリオの骨組みを形作っていると考えられます。

今日の音楽界にあって、映画音楽の分野は、産業としても非常に重要になっており、スターウォーズの音楽を担当したジョン・ウィリアムズの曲は、すでにいくつかのオーケストラの定期公演に取り上げられるまでになっています。プロコフィエフの仕事は、その先駆の一つと位置づけられるとも言えましょう。クラシック音楽界にあって、映画音楽をどう位置づけていくかは大きな、そして重要な課題であり、我々はいま、その転換点にさしかかっているのかも知れません。